Vol.5
松田 匡代
-Fossils-
Concept
Photographyとはギリシャ語で「光によって描く」という意味を持つ事に着想を得て、光の対となる影がもつ「存在の痕跡」を定着させる技術としての側面に興味を持つ。この作品で使われているガラスのネガは、マーケットで購入された家族写真の映ったファウンドオブジェクトです。家族の思い出や繋がりをしめす瞬間を定着したネガを、作家が意図的に割ることで、原型の写真を再構築することはできなくなっています。割れた破片の中から被写体とそれらの関係性が映されている破片を選び取り、記憶や人と人との関係性について疑問を投げかけるとともに、破片のフォトグラフィック・イメージからフォトグラフィーのアーカイブ的側面についても再考します。
Profile
1980年生まれ、2013年 Royal College of Arts | MA Fine Art Photography 修士終了。
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この10年間、ファウンドフォトを用いた作品はちょっとしたブームで、中でも蚤の市のような場所で入手され、ルーツも謂れもほとんど不明、というアノニマスな写真たちの取り扱いについては、これまでもさまざまな作家が各自のコンセプトに基づいて、手を変え品を変え投げてかけてきた。だから、正直言ってやや食傷気味の今日この頃……そんな矢先に、松田匡代のファウンドオブジェクトの作品に出会い、まだこんなアプローチもあったのか、と新鮮な思いで目が冴えた。
松田のこの作品には「化石」というタイトルが冠されている。杉本博司は化石を撮影した写真作品に「前写真、時間記録装置」と名付け、「写真は現在を化石化する行為である」と言ったが、松田は被写体の画像が焼きつけられたガラス乾板をあえて割るという行為を通して、写真ネガをまるで土の中から発掘された化石のような存在にし、もともと断片であった記憶をより一層の断片に帰していく。ガラス乾板に写った人々はもはや現実には存在しないし、彼らを知る人もほとんどいないだろうが、化石となったネガだけは残っている。私たちは考古学者よろしく、断片を拾い集めては、時間と記憶の痕跡と向き合おうとする。
太田 睦子 | IMAエディトリアルディレクター
石川 幸史
-This is not the end.-
Concept
「時間とは、瞬間の中に閉じ込められ、二つの虚無の間に吊るされた現実である。」というガストン・バシュラールの時間論を踏まえ、時間を持続からではなく瞬間から捉え、切り取られた写真がもたらす切断と連関の作用を用いて、過去から未来へと一直線上に連なるリニアな時間とは異なる圧縮され垂直的な瞬間のイメージを提示している。
Profile
1978年生まれ 2005年 東京綜合写真専門学校卒業
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この「This is not the end.」というシリーズにおいて石川幸史は光、発光する色、暗闇を揺さぶる、驚くべき写真作品を生みだしている。
この作品におけるトーンのコントラストは明暗法を用いたキアロスクーロの絵画のような奥行を感じさせ、見る者は作家の魅力的かつ神秘的な写真の世界へ入り込んでしまったよう感じる。
石川 幸史という写真家はその素晴らしい写真技工と特異な視覚言語により見るものの眼を引き、他の追随を許さないといえる。
クリストフ・ギイ | Christophe Guye Galerieディレクター
中村 健太
-Offerings-
Concept
「その土地土地に根付いている風習はどのタイミングから神を宿すようになったのか?人が作ったであろうことなのに人智を超えた何かが確かに在る。」 本作は、そのような"神事"に想いを馳せて撮影を行いました。
Profile
1981年生まれ。九州工業大学工学部卒。
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今回のジャパンフォトアワードにおいて、中村 健太はここ数年発表してきた複数のプロジェクトをまとめて見せており、私はそこに発生する相関性にとても心惹かれました。それは個々の作品が本来のコンセプトから発展し、不確かな領域で重なり合った意味を持つということが起きているということです。ある意味、この提案の中で中村のアプローチはウェブ2.0の世界において画像の性格が作家の意図を取り消し別の意味を持つことを示しています。また、別のレベルでは、全く異なった意図を持った作品をまとめることで、美しく断片的な写真達は、彼の創作活動が多層的な活動であり矛盾を持つものであることを思い出させてくれるのです。
シャーロット・コットン | キュレーター / ライター
大坪 晶
-Shadow in the House-
Concept
写真作品《Shadow in the House》シリーズでは、時代の変遷とともに所有者が入れ替わり、多層的な記憶を持つ家の室内に、亡霊のような影を写し込んでいる。日本は第二次世界大戦後、GHQ とイギリス連合軍による占領統治下 に な っ た た め 、全 国 で約3,000軒 の 個 人 住 宅 が接 収 さ れ た。被 写 体 と な っ た 邸 宅 に は 、接 収 後 に 畳 がフ ロ ー リ ン グへ 張 り 替 え ら れ る など 、和 風 の 建 築 物 を 洋風化した跡がうかがえる。 接 収が解 除 さ れ た の ち 、多 く の 住 宅 は 持 ち 主 へ 返 還 さ れ たが、い ま や そ れ ら の 多 く は 取 り 壊 さ れ つ つ あ る。 歴 史 に 隠 さ れ た 個 人 の 記 憶 を “ 影 ”と し て 表 現 す る た め に 、 パフォーマーの 姿 を 4 x 5 カメラで長 時 間 露 光 に よ っ て 写 している。この作品では、写真の記録の「客観性」/イメージは常に操作可能であるという二律背反を引き受けながら、見知らぬ他者の記憶という、想起や共有が困難なものへの接近を試みている。
Profile
1979年生まれ。2011年東京藝術大学先端芸術表現専攻修士課程修了、2013年プラハ工芸美術大学写真専攻修士課程修了。
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誰かがそこにかつて居たという気配が伝わってくる写真である。建築写真としてもクオリティが高いと思われる。また、廃墟化した美しいクラシックな建物の中に裸の身体性の痕跡が漂うことで、詩的でありながら、少し怖い雰囲気を持つ。フランチェスカ・ウッドマンや米田知子の写真をも想起させる。建築という、人間に比べたら比較的長く存在していけるものに対して、人間の身体性――命の儚さ、なようなものが浮かび上がる。
「人間という存在と記憶の関係性を再考することをテーマとしている」という作家のテーマが、良く表現された作品シリーズである。
椿 玲子 | 森美術館キュレーター
鈴川 洋平
-Apocalyptic Sounds-
Concept
今回の作品はシューティンガーの猫という思考実験から着想を得ました。
自分をとりまく小さな世界を一つの箱と仮定すると、そこには様々な可能性、選択肢が内在していて、それらの数の分だけ今とは違った僕が存在している。と考える事ができる。でも僕にはそうは思えない。
結局何をしようが、行き着く先は同じで、無限ループに入っているような気がしてならない。
僕が作品を作るにあたって根底にあるのが、常に仮想と現実との間にいるような感覚です。すべてがハリボテに思えます。
天使のラッパが鳴り響き、こんな小さい世界が終わりを迎えようとしているこの瞬間に、少しでも可能性があるとするならば、明るい未来を想像したい。
そんな思いを作品にしました。
Profile
1979年生まれ。東京綜合写真専門学校卒。
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鈴川 洋平は自身の作品、「Apocalyptic Sounds」をシューティンガーの猫*、閉ざされた箱の中にいる猫は同じ時間軸の中で生きている可能性と死んでいる可能性が同時に存在するという思考実験への疑問に着想を得たと説明している。私は物理学者ではないが、この作品の中で鈴川は時間と空間に挑戦するという写真の本質をうまく利用し問題提議をしていると言っていいだろう。
「Apocalyptic Sounds」はその美しさに虜になりながらも見る者を困惑させるシリーズであり、穏やかさと仄暗さが不思議にも溶け合っている。
ブルーノ・ケシェル | Self Publish Be Happyディレクター